『自分のために料理を作る: 自炊からはじまる「ケア」の話』山口祐加 (著), 星野概念 (著)
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本ブログで何度か名前を出しているこの本。ついに読了しました。
序盤からすでに刺さっていたが、改めて自分にとってすごく大切な本となりそうです。
読書記録兼、私と同じくスキーマ療法ワークをしている人、人生生きづらい人にも、もしかしたら今をみつめるヒントにもなるかもと思い、ここに書いてみます。
一つ先に謝罪をしておきます。私は文章がとても下手なのでいいところが伝わないかも。
読んだきっかけ
Kindleで自炊にちょうどよさそうなレシピ本を探していたときかな?に出てきました。
サブタイトルの「自炊からはじまるケアの話」の部分が自分のアンテナに引っかかり、読み始めました。
私は長年正体のわからない悩みと苦しみがあり、心理カウンセリングに通っています。
辛さが押し寄せるとなんとか打開しようと、いろんな本を読み漁る傾向もあり、現在はその中で出会った『自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1 生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻そう』のBook1~Book2のワークを個人的に行ってます。(カウンセリングではその気づきを聞いてもらってます)
スキーマ療法ワークを通して、自分の感情に気づくのが少しずつできるようになってきて、
自分がどういうことに幸せを感じるかもわかってきました。
そのうちの一つ、美味しいごはんを食べる幸せ、もあります。
誰かと食べてもひとりでも、誰かの料理でも自分の料理でも気持ちとして幸せにはなれます。
しかし、節約だったり健康のために普段から自炊をしよう、と思っても、私は立派に自炊できない。
仕事で疲れると気力がないし面倒、やるべきことがあって料理に時間をかけるわけにもいかない。でも慣れてないから時間がかかる。時短料理も、結局めんどくさい…。一人暮らしのみんなが当たり前にしているような食事が自分にはできない、結婚して子供を育てている友達となると、さらに自分と違いすぎて、なんだか自分がすごく怠惰で惨めに思えていました。
そういう人生に関する悩みや、料理できない自分の漠然とした劣等感が、この本のタイトルに惹かれた所以かなと思ってます。
読んで良かったと思う一番の理由
いきなり本の感想としてあまり適さないかもな超個人的な内容になります。
私は絵が好きですが、もう何年、下手したら十数年、絵が描けませんでした。
「楽しくない、自己嫌悪で描き終えられない、人に見せられない、もう絵が好きなのか、昔得意だったものにしがみついているだけなのかわからない」という状態で、
それが「今」の人生では一番、辛いことでもありました。生きづらさの根本はもっと深い別のところにありますが、絵を楽しめずむしろ苦しいというのは自分に対しての不信感につながりました。
そうした絵に対する苦しみと、本書で書かれている自分のための料理の難しさ、
それがすごく重なり、心が軽くなったのと、ヒントになったなと。
もちろん料理に対しても、感じ方が変わり、そのプロセスから得る楽しさ、味わう喜びは倍増しました。
自炊の頻度は今のところわずかな上昇ですが、自炊しない自分や雑な料理に対する引け目も軽減しました。
以下、絵のことは一旦置いて感想を書きますが、結構全体的に重なってるところはあるなと思います。
この本を読んで気づいたこと
Kindleのハイライトを途中からしかつけていないので書き起こせる範囲でorz
①「こうしなければいけない」に縛られていた
「料理はちゃんとやらないといけない、きれいに作らなきゃいけない」と思っている人が多いけれど、
ちゃんとって何?というところ。
著者の山口さんの料理教室受講者の言葉が紹介されていて、決まった材料を使ってこういう名前の料理をつくる。というのが料理だと思っていたから、面倒だったんじゃないか。という言葉。
確かに、料理には手順があって、それをひとつひとつ覚える、材料も覚えるところまでできて初めて「料理ができる」なのかなと思ってました。
なのに自分は同じ料理を何度も作っても覚えられないし、時間がかかる。そこがすごく嫌だったなと。
本書には料理のプロセスを楽しむヒントも紹介されていますし、帰宅後にまず軽く食べてから続きの料理を作り始める。という小料理屋形式もありだとしていたり、肩の力を抜いて料理に向き合ってもいいんだ、と思えました。
②納得感があると作業から楽しみに変わる
著者の山口さんがレッスンの参加者と生姜焼きを作る回で、料理酒の存在意義、風味って何?とか、玉ねぎを繊維に沿って切るか断ち切るか、そういう説明があり、そうだったのかと驚くことばかりでした。
なんとなく知っていたこともあったけど、今までは、「繊維に沿って切るとこうなる」→だから「こう切らないといけない」というつながり方をしていて、覚えるべきことが増えるだけ。という感じだったのですが、
この本を読んでいる時にふと、あ、選んでいいんだ。と思えました。
料理に合わせて、この方が適している、という切り方はあれど、好みだったり楽な方法でもいいし、
なによりそこが変わっても、生姜焼きは生姜焼き。生姜がニンニクに変わったりしたら別料理だけれども、生姜焼きのアイデンティティを崩さない限りは、ルールって意外とないのかもと思えました。
この部分を読んでから、かぶのスープを作る時に玉ねぎを両方の切り方で試してみて、結構違うかも!と思ったり、同じレシピではないのですが生姜焼きを作る時にも自分でシャキシャキにしよう。と思って繊維に沿って切ったり。
ネットで検索したレシピも、結構大さじとかの分量をざっくり参考にするだけだったのを、まずはちゃんと計ったり。
そして簡単だからとレシピを見ずにざっとペペロンチーノを作ったとき、なんだかもっと美味しくできるのでは、と思い別の日に塩の分量含め王道とされるレシピに沿って作ったところ、同じ材料でも味が違って。
「こうするとどうかな?」とか「うまくいかなかったのはなんでだろう」とか、そう考えながら料理ができるようになってきました。そしてそういうのが自分は好きなんだなという発見も。
本書では「マニュアルなどで指示されることに対する拒否感」も自炊ができない理由になっているかもという示唆もあります。選択性や「もっとシャキシャキがいい」みたいな意思を持って作ることで、自分が作れる範囲の美味しい料理が増えたりおいしさが増したりする、と実感しましたし、そうした楽しさを感じられる余地があるか、「いいからいう通りにつくれ」と完全にそれを取り上げてしまうかが、自分と料理の関係を決める分かれ道でもあるなと思いました。
③機能じゃなくて、感情を大事にしたい
山口さんが非常食セットの中に食べたいものがなかったので、長く持つもので食べたいと思えるものを別途買っておいたという話から。
これはちょっと抽象的な概念として自分の中で受け止めました。料理っていうよりは、仕事とか。
生きていくための仕事、働くこと。お金を稼ぐこと。
英語でも資格でも、何か仕事に繋げてお金にならなければ意味がない、無駄なことと無意識なジャッジをしていました。私は、何か知識を得るのが好きですが、英語も資格も、結構過程がすきです。誰かと英語で話したいとか、資格を仕事にしたいとか、あんまりないんです。そうすると、英語、はまぁ使う機会があるとして、中国語とかも好きで。その中国語を勉強したいと思いながら、そんなことする時間があったらもっとやるべきことがあるという責める声も聴こえる。
ああ、自分ってそういうところにも「こうしなければいけない」が隠れているんだなと。
料理も、結構時間がかかってしまうので、料理も食べることも無駄だとは思っていないのに、そんなことをするよりも仕事など人生に関わることを、とどこかで自分が自分を責めています。
コトコト煮る音がなんか好きとか、作ってる料理の香りがすごくいいとか、お菓子でもホイップクリーム泡立てるのが楽しいとか、絞り袋つかってみたいとか、作る過程も幸福があるのに、時間がかかりすぎだとか、この時間をかけてるくせに品数が多くないとダメだとか、途中でちょっと失敗したとか、そういうので「無駄」と一蹴したり、完成品を「失敗」とみなしてしまうのはすごく悲しい。とも思いました。
④「ダラダラする=自然体でいると呼ぼうよ」
この本はレッスンの参加者との対話回があり、料理のことから広がる普段の生活やいろんな話題も書かれていて、その中で紹介された言葉です。
土日に料理をすると、なんとなく何かをなしたっていう達成感はあるけど、逆にこれをいつもやるのはむりだとできない時のことを考えて諦めや自己嫌悪に陥ったり、実際できない時に自己嫌悪になったり。
それって自分に求めるレベルが高かったのかも。と思いました。
やらないのが怠惰というわけじゃない。やれたらベストだけど、そもそもの人間はそんなにできた動物ではない。子育てでも仕事でもなんでも、どんどん求められるレベルが上がって、それでいてできているキラキラした人たちがSNSなどで目に入るから、自然とみんなうまくやってる、こなしてる、と平均レベルがどんどん上に設定されてしまってるのかも。そういう平均とかじゃなくて、自分が満足できているか、できていないなら、どういうことができそうか、自分中心で考えていいんだなと思えました。
⑤世の中は壮大な役割分担
これも対話の中で紹介された言葉。
料理の話というよりは仕事や生き方の話で考えました。
人と比べなくていい。得意不得意がある。
このブログでも、自分には凹凸があるなと感じる、と書いたことがあります。
平均的にできないことに落ち込まなくても、できることをしたり伸ばしたり、
できないことは生きていくのに困らない程度まで頑張るでいいじゃない。という気持ちが強まりました。
⑥「自分が満たされる感覚」「自分だけの嬉しさ」が生きている手応え
スキーマ療法に出てくるスキーマの中で、私は「感情抑制スキーマ」がすご〜〜〜く強いです。
でもワークを進めていくうちに、それくらい強いスキーマができるくらい、もともとの感情もかなり強いんだなと思うようになりました。
特別感覚が過敏だったり繊細ってわけじゃないと思うんですが、関心の対象が広くて、感覚や感情を動かすのが好きだからこそ、いいことにも悪いことにも、簡単に気持ちを持っていかれるし、影響の大きさも大きい。
そうした特性と過去の諸々の経験が組み合わさって感情抑制スキーマが形成されて、
感情抑制の裏側には他者からの否定や無理解もあり、自分を守るために人の評価やされそうな評価にものすごく強く意識が向くようになりました。
自炊は自分が好きなものや食べたいものを自分で作ること。人から見てどうかではなく、自分が満たされるかどうかでなにもかも決めていい世界。そこに「評価」は必要がない。そういう、自分の感覚を第一に、判断したり自分で自分の気持ちを受け取る活動が、今の自分には必要なのかもと思ってます。
同じメニューが三日前よりおいしくできたという喜びは、地味だけれど確実に自分の脳と身体が感じるし、それによって満たされていく気持ちがある。
自分が小さな幸せを味わえているならそれでいいじゃん、誰かにシェアする話でもないな、と。『今日いいことがあった』という誰にも奪われない自分だけの嬉しさを味わうことって、生きていていい自信にもつながる気がしていて。そういう嬉しさを味わうのに、料理はすごく役に立つのではないかと思っています。
これら本書の引用ですが、こういう実感、感覚が、今の私には重要。私の特性としてもそこに喜びを感じやすいタイプだと思います。こういうところが特に、料理以外のあらゆる活動に、生き方にも通じるなって思います。
⑦自分の食事に関する体験への気づき
「おいしさの九割は安心感」という項目を読んで、自分の食にまつわる環境を振り返りました。
詳しいことはここを読んだ当時の日記があります。(「安心感のゆくえ、不快感の渦」)
自炊が”できない”理由とは違うかもしれないけど、過去の体験が回り回って自炊のハードルにもなってる気がします。
全体的な感想
気付いたこと、としてまとめたもの以外にも色々気づきはあるのですが
なにぶん頭の中が大渋滞なので上手く引き出すことができません。
料理のことを調べていてこの本を見つけましたが、読む目的は自炊の解決というよりも自己理解だったように思います。
スキーマ療法で苦しい体験と向き合い、沈むことも多いのですが、深く沈むたびに、自分の奥底がよく見えるようになります。今回この本を読んで、「料理」「自炊」「食事」という観点を自分に投げ込んで、その跳ね返ったりする反応から、自分のことを観察することができました。
また、著者の山口さんの考え方や言葉から救われるところもあれば、レッスン参加者の方の言葉に共感して自分だけじゃないんだなと少し心強く思ったり、料理だけではなく色々な悩みを抱えながら生きている「人」を感じて励まされました。
実はこの本を知るよりも前に、「食べることは生きること」という日記を書いてます。
積極的に自分に食べさせること、積極的に自分に与えて満たすこと、それが「生きている」という状態の維持ではなく、能動的に「生きる」ということなのかもしれない、と思って書いた記事です。
そのくらい、食べる行為と人生は、生命維持のため以上の影響がある気がしてます。
(思えばそういう思いがあったからこの本のタイトルに惹かれたのかも)
それがこの本を読んで、より強く確信になりました。
このブログは自分の気持ちの整理場所でもあり、
私の日々の感情を記録して「喜び」がどういうときに発生するか自己観察したり
それを少しでも増やせないかと試みるための場所でもあります。
自炊、食事、食べたいものはあるか、何が嫌か、といったことは、
自分の調子を測るのにもとても役立つと思います。
すでに色々気づきは得ていますが、この本の本来の目的の通り、自炊頻度も増やせたらいいなぁ、
と思いました。←結局まとめ下手すぎてありきたりな感想文で締めることとなりましたが、読んで良かった本のご紹介でした。