食べることは生きること

あまり自炊をしないので、一気に作って冷凍しておく冷凍弁当を何度かやっていたが、最近、やはり炊き立てのご飯、あるいは冷蔵庫に保存したご飯のほうが圧倒的に美味しいなと思って、おかずだけ冷凍してごはんはなるべく都度炊いて使うようにした。

自分にご飯を振る舞うというの気持ちがそこに向いてないとなかなか出来ず、ただ空っぽの心を満たすためにコンビニ飯を書き込むのとは質が違うと思った。

それでもやはりその翌日にはまた泣いてしまったりなんだかどうしようもない気持ちになったりする。いつも勉強しようと思っているのに勉強が無意味に思えて仕方なくなる。無意味というか、虚しくなる。

き24時間テレビを見て、全てに感動できるほど清い心ではないけれど、人の役にたつと感じられることは大事だろうなと思った。離島にあるフリースクール。聴覚障害のある両親に育てられ、自分以外兄弟含め耳が聞こえない女の子の話。

私が生きてるのって何のためだったっけ。と不思議な気持ちになった。

昔の私は自分みたいな子にできることをしたいと思っていた。それが今や何にもつながっていない。それは自分自身のために生きようとする過程でやはり人のことより自分のことだと思い直したのもあると思う。けどなにか根本的に、私の生き方ってなんなんだろうと思わざるを得ない。

人の役に立って褒められたいわけではない。ただただ自分が苦しかったことを繰り返させたくない。味わう人が減って欲しい。そう言う人がいたらそばにいたい。でも私は対人関係が得意でないから、仕組みに関われれば、、とか教育関係に、、とか思っていた。今はそのどちらにもいない。

自分の生き方が、今までの生き方が間違っていたんだなと感じる。

努力はしたがなにも報われなかった。届かなかった。家族の幸せにつながらなかった。

これから自分の人生をと考えてもどうしたらいいのかわからない。

ただお金を稼いでご飯食べて寝て。

そうして生きていると嫌なことが降りかかってくる。この先何があっても大丈夫、と思うに足る安心などなくて、いつも不安で怯えている。助けてくれ。頼れる相手などおらず、なにより自分にとって頼りにならない自分という存在に落胆する。