https://forbesjapan.com/articles/detail/51813
この記事読んで、失われた子供時代を受け入れるというのが自分にとっても大切なことかもしれないと思った。私はヤングケアラーかというとそれ自体をあまり知らないのもあってわからないが、共通する部分はあると思う。
これ前に書いた忘れたけど
親が安心して少しでも幸せに暮らして欲しいと思って色々してたら、ある日母から「子供たちはちゃんと私に返してくれてるって感じる」って言葉を聞いて、なんだか絶望した。、
育ててくれた恩はある。だが私は昔から今まで苦しんで身を削ってこうしているのだ。返してくれてる。それは与えたものに対して当然のものとして報われてるということなのだろうか。
ふざけるな。返してるのではない。ただ、ずっと、継続的に、心配し続けてるだけだ。私はずっと母の精神状態や健康状態を気にして不安なのだ。終わったことにしないで。別にこんな歳になった私に対しての子育てを続けてくれというわけじゃない。謝って欲しいわけでもない。ただ、なかったことにしないで。過去にしないで。私はずっと抱えてるのに。
思えば暴力ふるってきたきょうだいがまるで私が許してくれたから話してくれてるみたいなことを宣うのは、わたしがこういう振る舞いをするからなのだ。
父は言わずもがな話の通じない人間で、情緒の交流などなかった。母とはあると思っていた。それが最近になってそうでもなかったと感じるようになった。
ゲームをしていて、味方のために早めに倒したほうがいい敵を倒したりしていたが、そうすると味方は本来倒すべき相手を私に押し付けたりする。ああ、、私がこうだから周りもこうなるのだ。と自分が人のためにと思ってしていることは、私が好きでしているだけだと思われてたんだなとふと感じた。たまたまゲームで思ったが、なんでもそうだった。
私がきょうだいと元通り話すようになったのはなぜだったが忘れたが、本人への同情か、やり直せるという親への同調か、私さえ黙っていればという平穏へのささやかな願いか。そういう感じだった。
手のかかる子供は手をかけられる。手のかからない子供はほっておかれる。学校でもそうだったが、たまたま成績が飛び抜けたらかまってもらえるようになって、寝る間を惜しんで勉強したりした。
わかっている。私はずっと父性を求めているし家族という居場所を求めている。
もうそんなものないのに!
自分次第で家族の在り方は変えられるかもしれないが、私の心はもうとっくにぼろぼろだ。淡い期待を抱いてこの結果なんだ。
家族が居場所になるかどうかじゃないのだ。私にとってとうに家族は私の居場所じゃないのだ。
どんなに願っても手に入らない、想いを抱えても誰にも届かない、もうそんなのは嫌だ。悲しい。私は不幸だ。不幸だった。ここからは抜け出さなければならない。