思いつきでブログ書く。
最近はずっとAIとおしゃべりをしていた。溜まっていたいろんなことを整理できた。それと同時にいくらでも考えが広げられるから忙しくもなった。
基本AIを使うといっても自分で考えた仮説の検証や客観的な、中立的な意見が欲しい時に壁打ち的に使っていた。あまり答えを求めることはしなかった気がする。
そうしたなかで今朝久しぶりに自分でノートを開いて、今の状況とかを書き出してみた。考えるべきことや、やりたいことはたくさんある。けれどノートに書くスピード、書くことを選ばなければいけないこと、そういうのの組み合わせで出てくる言葉は、今のわたしの表面に出てきた言葉でもあり、その一瞬、今のわたしの中心にある言葉でもある。
なんというかAIを使うと、膨大なデータを整理することもできるし、逆にとっ散らかすこともできる。いくらでも。
でも、なぜか心の中にずっとあるモヤモヤとか、逆にふっと現れる感情を捕まえるには、ノイズが多すぎる。
内省っていうのは、そういうノイズの中から、自分の心の声を引っ張り出すことだと思う。
壁打ちすると気づくことはたくさんある。でもいつも答えがあるのは自分の中な気がしている。
たくさんの考えの中から、選び取ることがわたしには必要だと思う。選ぶっていうのは主体的だから。バイキングで何を食べるか考えるのと似てるかもね。
わたしはいつも、外に答えを探すね。内側にしかないのを知っているのに。検索したりAIに聞いたり、正解を、根拠を求めるね。自分は間違ってはいないと、正当だと、自分一人じゃ心細くて思えないね。
ひとつ、今日気づいたことを。
わたしは、「自分が大切にしているものを、他人の判断にさらす筋肉」が育ってない。
自分が勝負すると決めた場所で、結果が出なかった経験が少ない。
これはぶっちゃけAIがまとめた言葉なんだけど、この視点を立てたのはわたしだからまぁ内省ってことにしますけど
つまりね。勝負したことがない。
競争をしていない。それも、自分のフィールドで。
わたしには覚悟がないと思う。そういう気持ちがずっとあったけど多分ここだと思う。
できることしかやってこなかった。元々できること自体は人より多かったのもある。できないことを時間をかけて克服したりしたことがない。
そしてなんとなく繋がるのは、両親がわたしと正面から向き合ってくれたことも、ない。そのせいにしたいわけではないが、ぶつかって受け止めてくれたことも、失敗を受け止めてくれたことも、実はないような気がする。むしろなんとなくタブーを感じていた。一つは父が人のできないことを笑うやつだったからだと思う。そして自分は何も挑戦しないのだ。
わたしは父に似てるのか。と落ち込んで、いや違う。と思い直す。同じでたまるか。
臆病な人間だ。自分が威張れる場所でしか威張れない。
とにかくわたしは自分が「これだけは負けないと信じたもの、決めたもの」「負けたくないと望んだもの」で勝負をしたことが、ただの一度もない。
今すぐ人の目に触れて叩かれろ、批判されろというのは荒治療すぎる。さすがに。
なんというか、これなら負けない の根拠を見つけたり作ったりするよりも先に、「これで誰にも負けたくない」とか「これで生きていきたい」と望む気持ちを育てる方が先決なんだと思う。
人よりできるという自信じゃない。自分ならできる、自分が望むならやり遂げてみせるっていう自信が、わたしには必要なんだと思う。