図書館に行ってきました。アサーションの本が目的でしたがその他にも歩いていて気になった本をいくつかめくったり。
そしたら片親でも子供は健康に育ちます…的なタイトルの本があり、なんとなく手に取る。
本来の想定読者ではないけどなんとなく気になったので借りずに現地で読んできました。
こういう本って、結構立ち位置がいろいろあって、
とにかく母親を肯定・ケアする本(あなたは間違っていない)や、
逆に子供の教育にはこれが必要だと思想強めの本もあると思いますが
この本はなんだか優しかった。こどもにも、その親・大人にも。
精神科医、特に小児精神科医の専門医が書いたからなのかな。
なんとなく、現実的で養育者にとってもこどもにとってもバランスの取れた現実的な本に感じました。
で、そのなかでいくつか印象に残ったい内容を。
一つは「基本的信頼感」
この本の中では、親に見守られているといると感じながら育つことで得られると説明されてた。
例えば自分の得意なスポーツで選抜競技大会的なものに出たとき、
自分が得意だと思っていたスポーツだけど、そういう人が集まっている場所では思う成果にならなかったり
自分より能力が高い人にも出会うことがあるが、そうしたときに基本的信頼感があれば
挫折に傷つき苦しむことはあっても、劣等感は持たない。そしてやがて乗り越えていけると。
でも、基本的信頼感がないというのは「自分はこのスポーツが得意だ」という根拠のある自信なので
自分より能力の高い人に出会ったときに、劣等感に苛まれる。
そして無意識に自分より劣った人をみつけて優越感に浸ろうとさえしてしまう、、、らしい。
そうして優越感と劣等感を行き来していくうちに人と親密な関係が築けなくなっていくと。
これはなんだかすごくわかる気がした。
私は基本的信頼感あんまりないと思う。それは自分にあるスキーマを見てもそう思うし、
上の例も、かなりわかる。
でも、これを「子供の頃のあれが原因で基本的信頼感が育たなかったんだ!」というのは難しい。
背景も複雑だし、私の親が、まぁ思春期の頃はいろいろ、今振り返ればもっとしてほしかったことってあるけど、
でも基本的に私の親は精神的に未熟だったりもろいけど普通の人で、
そこにあれこれ求めるにも限度があるというか。責められるものでもないと思っている。
だから、私じゃなくても、こういう基本的信頼感を十分得られなかった人ってのは、たくさんいるんだろうなと思う。
その前提ありきで書くけど、確かに小さい頃、見守られている感は、感じられなかったかもな。と思っている。
親は共働きだったし、離婚のために母は深夜まで働いていて学校から帰っても家族がいないとか
兄弟だけでコンビニ飯食べるとかあったし、離婚してからも話を聞いてもらえなかったり…過去のブログに書いたようにいろいろあった。
父は共感力に欠ける人ですれ違ったコミュニケーションばかりで、自分の思いを汲んでもらった経験がない。
自分の気持ちを全然違う形に解釈されるのは、むしろすごく不快感のある経験だった気がする。
そして、自分の自信は、確かに自分が「できること」に根差していると思う。
私は器用なほうだったから、初めから人並かそれ以上にできることが多かった。
だから一部の勉強やスポーツ(水泳とか)を除いて、みんなと一緒にやっていて置いて行かれることはなかった。
その代わり、できないことは、本当に苦手だった気がする。
水泳もそう。一部の球技もそう。自分が「人より不得意」から始まるものを、続けられた記憶がない。
つまらないから投げ出すとか、宿題を後回しにするような感覚とは違って、
できない。と苦しんで耐えられない、逃げるように避けていた気がする。
そしていつからか、得意だったはずのことも、やるのがつらくなった。
自分が足踏みしている間に、好きこそものの上手なれ的な感じでうまくなったひとが自分より上手になり、
私が「歳のわりに上手」だったのが「年相応に上手」、そしてその差がどんどん私を「普通」にした。
できることをほめてもらうのはうれしかった。でも同時に否定もよく感知していた。
私が比較的器用なのに対して、きょうだいは比較的不器用だったので、祖父母や父によく比較された。
比較ってのは、劣ってるほうとして比較されるのは当然嫌な体験だが、「〇〇は上手」と比較されるのもなかなかしんどいものがある。
そういう大人の価値観、比較やできるできないでの価値判断が、子供に内面化されるように思う。
同時に、そういう部分が憎悪になってきょうだいから私にぶつけられてきたのだとも思う。いいことが全然ない。
この「基本的信頼感」って、すごく大事だと思う。前を向くための希望だと思う。
私はうまく育たなかったのか、いつからか失ったのかわからないけど、今からでも育てていきたいと思う。
もう一つ、この本で親が離婚のことを子供に伝えるときに、素直に事実をを伝えていいが、
憎しみなどのネガティブな感情は伝えてはいけないと書いてあった。
子どもにとってはどんな親であれ、かけがえなく大好きな存在なのに、
その大好きな親が、もう一人の親を悪く言うことは子供を傷つけると。
これは私自身同意するし、ほかの子を見ていてもそう感じるからその通りだと思う。
これは本当に、正直なところうちの親にもそうして欲しかったと思う。
あともう一つ、この本に社会性は親の背中を見て学的なことが書いてあって、
ニュアンスは少し違うかもしれないけど親が周囲に頼ったり関わったりすることで
子供はそうやって人に頼ったり頼られたりしていいんだと学んでいくみたいな内容だった。
うちは母方の祖父母とは関係がもともと薄かったし、
離婚によって父方の親族とは疎遠になったり、私が母についていったから、
なんだか祖父母とどう話せばいいか、どう思われているかもわからず
いつからか敬語で話すようになった気がする。
私の社会性を親のせいにしたいのではないのだけど
母は十分な人と関われていなかったしサポートもうけられていなかったように思う。
それはおそらく私にも影響はしているという学びにもつながるし、
あの頃の私たち家族を取り巻く環境を、大人になった自分が見つめるための大事な視点でもある。
基本的信頼感。
アサーション。
どっちも、子供でも大人でも、生きていくうえで大事なことだと思う。
心の悩みがあってもなくても。
できないことが私を苦しめているけれど、
できないことを悪いことととらえない自分になりたい。
挫折を感じて、劣等感を感じない自分になりたい。
前を向いて立ち上がって、努力できるように。
できることに自信があるんじゃなくて、歩み続けられる自分に自信を持ちたい。