なんにもわかってねぇ

愚痴っぽくなるけど、愚痴だけど、でもちょっとポジティブもある。からかきます。

あまりになにもわかってない。そりゃないだろと言う出来事があった。

私の人生そんなことばっかではあるが、受け身の結果されたことじゃなくて自分が動いた結果起きたこと。自分の行動の反応として起きた出来事。

怒るというかはやれやれと呆れる気持ちなんだけど、同時に「まぁ、わかるはずもねえな」とも思った。

私の話をほんの少し聞いただけの人に私の気持ちを理解できるわけもなく、それと同時にわたしもその少ない言葉で、私のことをわかってもらえるわけもない。当然!

人を理解するにはそれなりに時間がかかるし、対話だって必要だってことだなと。こうして書いていて思う。

多分相手にとっては些末すぎて、そんなことで悩む人の気持ちはわからないだろう。けど自分がとった行動を後悔はしない。多分得たい結果は得ることができたし、こういうことをすると偏見も浴びるというのが少し学べた。

小さな挑戦ができた。

こうして思えば、私が感情や意見を出せないのは、小さなことに大きく反応されてきてしまったからなのかもしれないな。

笑ったから殴られるとか、嫌だと言ったら怒鳴られたり否定されたり。私が感情を出すのを許さなかった人たちがいて、私を自分の思うように動かそうとした人たちがいて、そんな環境にいたら怖くだってなるよね。

だとしたら…なんだけど、

私が人と関わって傷ついたうちの、家族とか、加虐的な人、つまり本当に脅威になり得るもの以外、

たとえばそこら辺で会った人とかコンビニ店員とか、学校の同級生や職場の人たち。ってのは、私が思うほど大したことを考えてないのかもしれない。大したことをとかいうとちょっと言い方悪いけど、私が頭の中で想像してるよりずっと軽い意味で言葉を発したりしてるのかもしれない。

そんなことを考える必要がなく生きて来れたなら、そんなもんなのかもしれない。

もちろん人それぞれいろんなことに悩んで考えているというのは大前提。でも少し意見を言ったら生きていけなくなるとか殺されるとかそんなことに悩んでたら日常生活やってられない。(実際わたしはあんまりやれてない)

と、いう意味でもう少しいい意味で鈍い、というかそのくらいが正常で健康なのもしれない。

だから、なんもわかってねえ!と思うのと同時に、あっ、普通の人ってこんなもんなんだ。という呆気に取られた気分でもある。

私の悩みが軽いわけでもなく、ただ普通の人からしたら悩むほど深刻にも感じられないことだったり(私側の認知の歪み)、シンプルに普通の人からしたら想像できないこと(そう感じたことのない痛み)でもあるのかな。

なんもわかってねえ。そしてなんもわかるはずもねえ。私の体験は私だけの体験でこの苦しみは私だけが知っていて、それを人に何も言わずにわかってもらうのも無理な話だったんだろうな。わからない。だから伝えるべきだし、だから話す。

私の悩みがくだらないと一蹴してるわけじゃなくイメージできないだけなのかもしれないし、私が過敏になってるのかもしれない。

そういう学びがあって、かつ一応得たい結果は得た?と思われるのでこれはこれで満足。少なくとも大きな一歩。