前回のブログに書いた、人を信用できない、人に頼れないこと、その行動パターンについて。
そう言う経験を思い出すと涙が出るのは、今の自分が多かれ少なかれあの経験を気にしていると受け取った。
そしてなんとなくブログを始めた頃の古い記事から振り返ってみた。
やはり最初は自分が自分を責めていた。それでも次第に、せめて自分は自分をケアしてあげないといけない、傷つき体験を言い訳だと切り捨てたくない。そうしないと誰一人私のことを本当にはわかってあげられない。という気持ちが芽生えていた。
最近はこの気持ちが薄まっていた。やっぱりケアする板割りの気持ちよりもスキーマが強い状態になることはあるようだ。
あの頃の私。
今までも、あの時のお母さんも大変だったんだろうな、精一杯だったんだろうな。と、母を思うことはあった。だけど、心配するのは、もっと手前にあったんじゃないか。
私が間違ってるとか間違ってないとか、お母さんの対応が合ってるとか足りなかったとかそう言うことじゃない。
あの頃の幼い私に、「あの頃のお母さんはいっぱいいっぱいだったからああ言うふうに言っちゃったんだろうね。あなたが本当に困っていたこと、決して人の力を頼りに楽しようとしていたわけじゃないこと、今の私はわかっているよ。」
そういうふうに声をかけてあげる必要があるのだと思う。
本日は母を責めることではない。
あの頃の母を、そして今の母という存在を責めても、私は救われない。
救えるのはあの頃の傷ついた私。そして傷を傷のまま抱えて大きくなった今の私。
思えばあの頃。ちょうど、あの頃。
一人で私たちを育てていた母は、心も不安定だったし
私は習い事帰りに友達の家に毎週のように泊まりにいったりしていた。そうでなくても習い事ばかりしていた。習い事をやめてからも家で休まるような時間はなかった。母も私も。
母と過ごす時間は一般家庭に比べれば少なかったと思う。
話を聞いて欲しくて話しかければ「マシンガントークが始まった」と言われた。
それだって今思えば、私が母に話を聞いて欲しくて、でもきいてくれないから、一方的に話すしかなかった。まともに聞いてもらえない前提で、せめて口に出していただけだった。
それでも聞いていないなって実感する時は落ち込んだし、聞いていると思えば「そんなネガティブだからいけないんだ」みたいに否定された。
母は多少スピリチュアルに傾倒するタイプだった。私に語るのは絵本や道徳の教科書にあるような綺麗事ばかりだった。今抱えている問題の、なんの支えにもならなかった。
殴られたら殴り返せって言って欲しかったわけじゃないけど、そういう地に足のついたことを言われるでもなく、受け取ったメッセージだけで考えれば
暗い話をするな、また話を聞かなければならないのか、辛いことは神様が与えた試練だ、
そういう感じだったような気がする。
うちにはお金がなかった。
光熱費がこんなにかかっていてとてもじゃないからやってられない。という書き置きがされていたこともあった。
だけど母は家を貧乏だというのを嫌った。
私はずっといろんなことに「よくなかったのはわかる。だけどどうすればよかったのか、どうすればいいのかわからない」と悩んでいた。
私の部屋はエアコンがなくて寒かったし暑かった。兄たちはエアコンのある部屋だったし光熱費なんて気にせずつけていた。私はエアコンが欲しいとも言えなかった。一人で、自分のためにお金を使うのはわるいことだとおもっていた。
学校でもそうだった。一度真夏に一人で学園祭の作業をしていたら先生が驚いてエアコンをつけてくれた。
縁があってある人に語学旅行のようなものに破格で連れて行ってもらったことがある。そのときも寒くて仕方なかったが現地で服を買えなかった。一時的な間に合わせでお金を払うことに罪悪感があった。帰ったら着なさそうなものをどうしても選べなかった。これは一緒に行った人からもちょっと呆れ顔をされた。
前回書いた迎えの話も、私のために車を出すのは無駄なことのように無意識に受け取ったのかもしれない。
労力と私のことを天秤にかけて労力をとられたように感じたかもしれない。
人に助けてもらえないのは、私に手を貸したり助けるほどの価値がないのだと自分の中で結びついていたように思う。
それは多分関係ないのだと言ってあげないといけない。
親の愛を否定するつもりはない。けど条件付きだと思っている。もしくは愛でなく産んだ責任感でそうしてるだけと思う時もある。自分の人生のひとかけらだから大切にしているように感じる。
つらい。
だから変えていきたい。
私は人を愛せるようになりたい。それを伝えられる人間でありたい。受け取ったものしか人に与えられないなら、自分が自分に足りなかった愛を与えたい。
最近どこかでリライフという言葉を見た。不思議な表現だけどなんだか良いと思った。