せんせいあのね

小学校低学年の頃、先生あのねというのをよく書いた。
いわゆる作文だけれど、これすごくやさしいね。先生あのね、から言いたいことを書けば良いんだもんね。
これを考えた人、導入した人、続けていく人、色々なものを経由して私もやった作文だ。

生きているだけで、そういう不定形のやさしさを経験してるんだろう。
記憶のない、自分が生まれた日、おめでとうと言われた母と、その胸に私もいたはずだ。
私は何人もの人に祝われて生まれた。たとえ苦しいことがあっても、今は愛していないと、仮に言われたとしても、あの時、私は祝われてここに生まれてきた。祝われなかった人も世の中にはいるのだが、そこに気負いしてもその人たちを自分が救えるわけでもない。事実として私は無事に産まれることを祈られ、母の体の中で病院に一緒にかよいながら育ち、生まれてきた。

おめでとうと言った病院の先生や看護師も、子どもにいいとされるものを本や話で伝えてきた専門家、
おもちゃを作った人、幼稚園バスの設計の人から運転手や幼稚園の先生。
制服を作る人、小学校の先生、習い事の先生、合宿の宿泊先のスタッフさん。
次第に受験だったり、競争も争いも増えていくけれど、それでもやはりいろんな人がつくった愛を受けて自分は生きてきたのだと思う。今まで間接的にも直接的にも受けてきたやさしさが、悪意よりも強く自分に残っているから、私は少なくとも「やさしくありたい」と思う人間になった。

私がブログを書いているのはあの頃と変わらない。あのね、こういうことがあったよ。
昔と違って誰か特定の人は見ないが、今まで抱えて、封じ込めていた感情を、こうしてブログに書くということは、今まで自分と関わった人に、その記憶の中で自分の気持ちを打ち明けているようなものだと思う。

私の気持ちはだれもしらない。だって口に出さなかったから。
誰も私の気持ちの存在を、肯定はしてくれない。否定されるならいっそ、と窒息死した感情たち。
すごく心細かった。すごく不安だった。自分はどこにいるんだろうと不思議だった。

私は比較的優等生だったが、見方を変えれば相手が自分に見た姿を、私は演じればよかったからそこに収まったのかもしれない。そんな器用でもないから、実際演じているその要素は大きさとしては小さいだろうが、「あなたは良い子だから」「つらいでしょう」「しっかりものでえらいね」そういうふうにいわれれば、ああそう演じればその枠に入れるのかと、少なくとも不用意に傷つけられることはないだろうと、無意識に相手が自分に見る姿に当てはまりにいったことは何度もあると思う。

誰も信じていない。誰も守ってくれないから。
でも誰かに「あなたはこういう人だから」と言われたり、勝手に役割を押し付けられたり、
本来の姿と違う姿を演じたり振る舞ったり繕ったり、謂れのないことで責められたりしても、
ずっと誰よりも、そばにいたのに守ってくれなかったのは、自分自身。
私は私がそんなやつじゃない、違う、と否定してくれなかったし、
悲しいんだって主張もしてくれなかった。ただ塞ぎ込んで、感情をに目を向けるのもやめてしまった。
そんな自分を信用できるわけもない。自分も人も信じていなかった。
なのにずっと苦しいって叫ぶから、ときどきどうしようもなく涙に明け暮れた。人目を避けて。

あのね、

ブログを書く時、誰というわけでもなく、そう語りかけるような気持ちで書いている。
今までの紙の日記と違うのは、誰かがみるかもしれないこと。
宛名のないメール、っていう匿名の掲示板のようなサイトがあるが、
本当にそう、宛名のない手紙を私は書いている。
自分に向けているつもりではあるが、同時に誰かに拾って欲しいと願う手紙。
何をして欲しいわけでもない、ただこの感情を、今の苦悩を、自分一人じゃなく、世界の誰かがひとときでも読んで、その一瞬だけ証人でいてくれたら、十分すぎるほど十分だ。

私は生きてる。感情がある。悲しんでいる。よろこんでいる。
心は動く、変わる。変わっていい。これからも私は私を育てて、面倒を見ていく。自分への責任を果たしながら。