昨日ブログを書く時にボロボロと泣いていて、そのあと不思議なことにいつも聴いていた歌が違うふうに聴こえた。
私は昔から音楽が支えで、CHEMISTRYもだけど支えられてきた曲は、ずっと聴き続けている。
昔を思い出すための時もあるし、単にずっと好きだからでもある。
それでも、支えてくれた曲が、ある時から響かなくなっていた。いい曲だとは思うのだけれど、一枚膜を通したような聴こえ方をしていた。どこか他人事のような感覚だった。
それが久しぶりに、その支えられていた当時のように胸に届いた。
きっと全部わたしの問題で、それが一時的になのかもう大丈夫なのか、わからなくて不安になるけど、もう私は音楽を支えにしても頑張れないんだと、思う必要はないとわかった。
よく泣く。泣いてばかりだ。でもそうやって人の優しさを思い出して泣くのは私らしいのだ。
苦しくて死にたくなるそのとぎれとぎれの気持ちの中に、ときどき、悲しみを知った分人に優しくなれるのだと自分を励ます自分もいる。
そうだ。私が音楽に励まされるのは、そういう自分が息をしているからだった。
世の中にはもっと苦しんでいる人がいるとか、大丈夫自分は頑張れるとか、私はあんなふうにはならないとか、いざというとき勇気を出せる人になろうとか、そうやって、いろんなことを考え受け止めて、人から支えられながらも自分が自分を支えてきていたのだ。
そんな自分の声が聞こえなくなって、私は私を励まさなくなったのだ。だから今こうして心に響く何かを感じるのは、自分を励ます自分が、息を吹き返したからだ。