もうなにかになろうとするのはやめる

昨日のブログを書いて、書きながら泣いて、生理でナイーブなのもあって泣いて、
自分のために頑張ろうと、小さく誓った。

私の今の日々は、仕事で埋もれている。
仕事は好きではないが大嫌いというほど嫌いでもなくなってきた。
ただ、人は嫌いだ。

意地悪な人、価値観の合わない人、そんなのはどこにだっているだろうが
自分の信念など何の役にも立たない職場で、ただ、心がすり減る。
心を切り売りして生きている。じゃあその分貢献できているかというと、べつにできていない。

夢というほど大きな夢を掲げなくてもいいのだと思う。
どうやって生きるのか、なんて問いは重要じゃない。私は生きているし生きていく。
無様でも、惨めでも、幸せを目指して前に進む。

前に進むには、前がどこかを定める必要がある。
それがぴったり合った方角でなくても、180度違ってなければわずかでも前進と呼べる。
自分の心に問いかける。

今の職場は、福利厚生など生活するにはいい労働環境だと思うが、
ただ毎日息を殺している。水が合わない、と思う。

スキルアップといわれてもぴんとこない。
市場価値、それが私にとって「使える人間としての価値」だからなのだろうか。
昔は、会社員、サラリーマンでも楽しくやっていた…そういう時期もあった。
今は出世にも興味がない。お金は欲しいがお金を稼ぐのは難しいなと思う。

人のために働きたい。人のために尽くしたいと言えるほどできた人間ではないが、
私は私なりに人に何かを還元したい。
売上を上げるというのは会社への還元で、それはそれで素晴らしいことだが
自分の仕事に、私は正直、価値を感じられていない。
自分の力不足も一因で、仕事の内容も一因で、別に会社の悪口を言いたいわけではない。
相性とか、適性とかそういうのだと思う。

例えば、「この業界で一番のビジネスマンになる」 とか
「〇〇のスキル×〇〇の経験」で市場価値を上げる とか
「いい会社に採用されるマーケターになる」とか「FPになる」みたいな(どっちにもならないが)
特定の職業になるっていう目標、そういうのはもうやめようと思う。

私は私のままで生きていこうと思う。
それを応援してくれる人がいるから。いたから。そして今までなにかになろうとしても、苦しかったから。

何かになるために何かを学んだり習得するのではなくて、
私はわたしのままで知識や経験を積み重ねたい。
自分から型にはまりにいく必要はない。評価されるものになろうとしなくていい。
頑張るのは、誰かのためじゃない。
もう、私は誰かのためには頑張らない。人のために働くのは、人のために人の代わりに頑張るのではない。
人の期待を背負ったり、肩代わりはできない。ごめんなさい。私はそんなに立派な人間にはなれない。
私の人生を応援してくれた人は、わたしのかわりに何かを背負って生きているわけではない。
ただ、わたしの心がよわったとき、寄り添って、励まして、ただそばにいてくれた。それは私のためにしてくれたことだった。
そうやって、自分が肩代わりする以外に、人のためにできることはある。
私はそれを探したい。

私はとある先輩が苦手だが、先輩を見返すとかも、多分それは違うんだと思う。
そうやって鼓舞出来たらそれはそれですごいことだが、そういうフィールドにわたしは立たない。
多分そんなことで私は心から笑えない。すごく無駄なことなんだと思う。
大事なのはそのひとといると自分が相当不快感を感じて疲弊して消耗する事実。
冷静に考えれば、離れて好きなことするほうが100倍健全に幸せになれる。
私は内気だが、それでも自分が聞くべき諫言と傷つけるための嫌な言葉の区別くらいはつくと思う。

人に褒めてもらう、それは今まで自分が無意識にとってきた戦略でもあり、
自分の身の安全のために必要なスキルだったのかもしれない。
それが通用しなくなったのなら、それは捨てるしかない。
人に褒めてもらえなくていい。人の役に立つ、都合のいい人間になろうとしなくていい。
今の自分のまま、今の自分にできることをしよう。必要なことがあれば学んで、少しずつできることを広げよう。

今やるべきことは、もう少し考えてみないと見えてこない。
私はわたしのために頑張る。私を応援してくれるひとの声をたよりに、前を目指す。歩き続ける。
そういう小さな決意を固める。