なんかもう疲れた
今日は本当によくない。早く病院の予約を入れないとまずい。
今まで無意識に親のためにがんばってきた。母にも父にも気を遣っていた。
お母さんが泣いているから、お父さんはきっと寂しいから、そうして気を遣って生きていた。
それの行き着く先がこんなだなんてあんまりだ。
私は一時期お父さんが死んでるんじゃないかと思っていた。自殺でもしたらどうしようと思った。
母についてもそうだった。それは今も続いている。
もしかしたら自分が死にたかったのかもしれない。実際死にたいとは思っていた。ずっと思って生きてきた。それを父や母に投影して彼らのために頑張っていたのかもしれない。現実少なくとも父はこのことなど気にかけずに好き勝手するタイプの人間だと大人になってから知った。ずっと存在しない父親という架空の何かを追っていた。父親に、というか父性に憧れがあり、父親は生きていて連絡も取れるのに他人の親が羨ましくて仕方なかった。父を亡くした友人もいたが妻や子供に愛情溢れる男性で奥さんからも子供からも愛されているのが度々伝わって、勝手な感情とわかってはいるが羨ましかった。
父といればいるほど自分を殺さなければいけなかった。いればいるほど傷ついた。そうして私は子供なりに尽くした。しかしそのうちほんのひとかけらも父には届くことなく、いや受け取ってもらえることなく私の子ども時代は終わった。
子ども時代をまともに過ごさなかった。今も満たされずずっとそこにあるのだ。
思えばなんでうちはこんなに困窮してるのか。していたのか。父は自発的に何かすることはなかった。母が父から養育費を受け取ってるのは知っていたが私がもっと言えばよかったのか?
学費は自分で連絡していた。しかしいつも気まずい思いをしていた。電話越しなりメールなりで相手の機嫌を伺っていた。自分に喜んでお金を払ってくれる人がいるとは到底思えなかった。母は電気代や食費も切り詰めないとやっていけないと悲痛な置き手紙をしていた時があった。どうすればいいのかわからなかった。自分たちが生きているだけで金がかかり、うちに金がないことはわかった。その反面きょうだいは大学進学したのに学費だけ納入して行かなかったり2〜3年浪人したのち結局進学しなかったりした。彼らはもちろん親の金で通った。私は奨学金を借りて大学に進学した。今も毎月一万5000円程度を返している。合計250万を私だけは背負っている。学校に通ったのだから当然ではあるが彼らが一年にかかった学費はいったいいくらかわかっているのだろうか。そのほんの一万二万でも彼らは払ったのか。そんな彼らを嘆く親の話を聞いて私だけは立派になろうとした気持ちもあった。私だけは成し遂げられるはずだと思った。
ここまで書いて途方に暮れていた。そのまま投稿しておく。