対話のワーク(ヘルシーな大人側とスキーマ側とで脳内対談するワーク)を始めた頃に、
これからどうしたいかとかの問答で答えが出ずそこから先へは進めなかったのと
単純にこのワーク結構しんどいので止まってました。
とはいえそれまで出てきたマインドフルネスやスキーママップだったり
やったことをもとに日々の生活で気づくこともちょこちょこあって、
ワークの一環になっていたなと思います。
今日は仕事がお休みなので、先日の帰省で感じたことも含めて内省しつつ
ワークを意欲的に進めていこうと思います。
再開にあたり、少し前のレッスンからもう一度やりなおしていて、
過去のポジティブな体験、ハッピースキーマの外在化をしました。
たまたま紙でなくスマホに書き綴ったのでここに記録。
今日のワークのこともあとで書くかも。
音楽に支えられて生きてきた
R、O、E、C、a、(※イニシャル)他にもたくさん。親の離婚とか色々、ありつつ
だからこそ人の悲しみや寂しさに気づくようになったのかもしれない先生には恵まれてきた
勉強ができてもできなくても、尊重してくれた。子供として見てくれた。なんだかんだ一生懸命自分の力で生きてきた
バイトしたりしながら一歩一歩歩いて、数年今の職場にいる。
某飲食店にいた頃は特に死にそうだった。仕事内容がではなく人生まるごと訳がわからなかった。よく歩いてきた。よくここまで辿り着いた。一人暮らししてる。自炊もたまにしてる。それなりには掃除もしてる。
今の土地が好きだなと思う。家は安心する。ときどき天職かもしれないと思ったりする。
でもやっぱりいやになったりもする。私は自分のことを自分で見てあげることができる。
そのおかげで辛いこともなんとか乗り越えてきた。私が私たる所以はこの不幸なまでの感受性だが、それだけに私は自分が自分だと感じる時はなんだか満たされると思う。今は少ないけど時々感じるときがある。私は…多分器用な方だと思う。正しくは、不器用だけど器用なところもあると思う。
しばしば何もできないと自己嫌悪に陥る反面、人にできないことができる時がある。
子供の頃は特にそうだった。今はできないことが目立つけれど、そのできることができなくなったかというと、そんなことはないと思う。叔母と出かけたりした中学生頃の夏休み
再従兄弟たちとしりとりしながら、眠いけどやめるのが惜しくてくすくす笑いながら、眠りについたこと
親友と出かけたとき
ときどき安心していられる場所を見つける
疎遠になっても大事に胸の中で光ってる動物のおしり、背中の丸み、しっぽ、鼻のうごき、かわいい寝顔や寝息。
幸せでいてほしい ずっと。ずっと。親族の結婚式素敵だった。
某芸能人がかわいい。
カメラを買った。上手くないけど少しずつ慣れてきた。もっとじょうずになりたい。
悲しいことばっかりあった。どこにも安心できる場所がなかった。弱音もまともに吐けなかった。
学校もハブられたりしていたけど、学校より家で息苦しかった。
家で暴力振るってきたあの人とも、何事もなかったかのように話した。
母のことは慰めたり話きいたりした。
私は内心傷だらけでわんわん泣いてるのに、自分以外誰のことも責めなかった。
わたしは、優しい子だと思う
誰が「おまえは冷たい」と言ってきても、気づいてもらえなくても
優しすぎる子供だった。よく我慢できる子供だった。
体以上にいっぱい辛さを抱えながら、がんばる子どもだった。
大人の顔色見て 頑張ってきた 頑張りすぎて歪みが出ただけ
私は人のためにがんばれる優しい人間だ。
本当はもっとたくさんの愛を受け取っていいはずなんだ。それに値する人間なんだ。
ずっと、ずっとずっとそうだった。ずっと昔から持っているぬいぐるみだけは、私のことを全部知ってる。私の相棒。
ずっとわたしのそばにいて、いなくならない。泣いてる私も笑ってる私もたくさん見てる。
いつも一緒だった。〇〇ちゃんと、もう1人の親友。