なんか色々あった。
お盆休みで実家に帰り、犬の様子を見たり母の気晴らしにどこか出かけられたらと思っていた。
母の体調が悪化したり、私も数日で帰る予定がもっといてもっといてと言われ延び続けた。
なんだかいろいろあって、母の眠る横で寝ながら涙が出てきた。
それがまた、昔もこうして泣いているとバレないように、
眠っている母の横で声を殺して、私は鼻水がたまるから息も殺して泣いていたなと思い出した。
愛されていたとは思う。でも本当にしてほしいことはしてくれなかった。
私の気持ちは大事なところで汲んでもらえなかった。母にも、父にも。
幸せを感じていた時期はとても短かった。
家族が全員揃っていた時の思い出は離婚がきっかけで母が父を悪くいう言葉で塗り替えられた。
みんなで楽しかったねと言えるものはなくなった。
ずっときょうだいが起こす問題や母本人の病気でいっぱいいっぱいだった。
私はおとなしくて手がかからないタイプだった。守ってはもらえたがそれ以上に気にかけてはもらえなかった。暴力を受けたり害があったら、それの対処はしてくれた。でも私が発する心のSOSは誰にも届かなかった。それが当時絶望で胸がはちきれそうだった。
理由のわからない涙が出た。母の寝息を聞きながら息を殺して泣いた。
母が彼氏と出かけるとき、嘘ついてでも彼氏の名前を出さないでほしいといったら「わかった」と答えるのにほんの一度も守ってはくれなかった。当時は学校もうまくいっていなかった。母が置いて行ったお金でコンビニのパンを買って泣きながら食べていた。精神的に参っている母に負担をかけたくない遠慮の気持ちや、どうせきいてもらえない諦めや不信感で自分の気持ちを口に出すのがうまくできない私は、よく食べ物を噛まずに詰め込んだ。窒息していっそ死んでしまいたいと思っていた。
きょうだいから暴力を受けたり暴れている場所から逃げられない時、窓から飛び降りたら、死ぬような高さではなかったけれどその意思が伝われば周りの人は私の言葉を兄弟喧嘩なんかじゃなくもっと真剣に聞いてくれるだろうかと考えていた。そして死ぬくらいなら相手に殺させて前科者にしてやる、その気持ちだけで生きていた。
母は彼氏がいるときは多少元気だった。でもその分その話をするし、結果的に私は家を追いやられるように出て行ったこともあるし、いなければ逆に寂しいからと帰っておいでと言われたりした。
夜中に寂しいから手を繋いで寝てほしいと言われた。あぁ状態がよくないんだなと思ってその時も静かに泣きながら眠った。
父には歯並びが悪いと馬鹿にされつつ矯正するならお金を出すと言われ矯正を始めた。月々のお金を報告したら怒鳴られた。それも恐る恐る、全額でなく自分で当時払いきれない分の数万だけ伝えただけだった。
急に「お父さんパートナーができた。第二の人生だ」的なことを伝えられた。当時自分も色々大変な時期で急にそんなこと言われ唖然とした。色々考えて悲しくて涙が出た。別に喜んではいなかったのに「喜んでくれて嬉しい」と言われてまたなんだか虚しくなった。自分に都合のいいようにしか受け取らず、都合の悪いものは知らないふりをする人だった。
母は父を嫌っていたので、彼氏ができたことは絶対に父に言うなと言われた。実際言わなかった。一度も。その父はパートナーとやらのことで私を責めたこともあった。
なんだかみんな憎い。
母はどうしてお金も仕事もないのに子を連れて家を出たのか。
割りのいい仕事をどうしてやめたのか。
どうして私の希望をきいてくれなかったのか。
留学するお金はないのに海外に行くといいみたいなことを言い続けたのか。
どうしてお金がないのに借金を増やしたのか。ローンを組んだのに仕事はやめたのか。
都合のいい時だけ存在を必要としたり蔑ろにしたりするのか。
きょうだいのように手がかかる方にばかり目を向けて私のことを見てくれなかったのか。
再婚するなら再婚すればいいのに中途半端に恋人作って嫌がる子供に惚気話をきかせたのか。
父も結局は子供達にどのくらいお金がかかるだろうとか、困っていることがあるんじゃないのかとかほんの一度も考えたことはないようだった。鈍感で自己中でデリカシーのない人間だった。一つも尊敬などできるところがなかった。親の離婚後十数年で、ほんの一度も学校や仕事は楽しいか、何か困っていることはないか、最近したことや好きなことはあるか、みたいなことは聞かれなかった。やれ進路はどうするんだとかああいう奴はダメだとか、自分の知り合いはこんな立派だとかそういう話に終始した。
きょうだいはきょうだいで好き勝手気持ちに振り回されて暴力振りやがって。
周りに迷惑かけまくったのに今は真面目にやってるから偉いみたいな態度して。
私が批判しようものなら可哀想だと周りは庇う。
私はいつもそうだ。我慢我慢我慢ばっかりして、何か言えばお前は冷たいだのなんだの。
学費だってきょうだいが無駄にしなければ私は奨学金を借りることはなかったんだと。なら私は卒業後にその無駄にした奨学金を肩代わりしていることにでもなるのかね。そんで社会人なっても実家に生活費払わず生活してたんだと。なんじゃそりゃ。
直近の家族の医療費だって、きょうだいは口だけ文句や立派なこと言って現状に文句言うだけ。実際負担したのは私じゃないか。ご飯一回ご馳走したら「ご褒美をやった」みたいな気持ちに浸りやがって。だったらてめーが金払えや!!やらねーくせに罪滅ぼしだけしやがって!!
なんだ?私は何も感じてないと思ってるのか?私だけ自分勝手なのか?私は我慢ができるから押し付けていいのか?私は当時何も言わなかったから傷ついていないのか?リスカしたり飛び降りたりしておっきな傷でも作れば納得してくれたのか?
どうして先のことを考えないのか。
そんな仕事続けて体壊すってわからないのか。早くわかれば症状も軽いし対処もしやすいしお金も少なくて済むのにケチったりめんどくさがったりするのか。
返せないのに「貸して」って表現を使うのか。
こっちは若いからなんとかできる自負はあるけどあんたらが実家に頼れたのとは違ってこっちは頼る実家なんてないのに。どうしようって言ってこっちに投げるのか。全部察して動かなきゃいけないのか。
これ以上何を求めるんだ。どう応えたらいいんだ。いつまで応え続けたらいいんだ。
いつまで我慢すればいいんだ。いつ安心できるんだ…。
結局こんなこと思う自分が一番嫌いだ。醜い。
こんなこと言いたくないのに、吐き出さないとしにそうだ。もういやだ。いやだ…