心の回復力/綺麗だと思う色を置いてごらん

いやいやいやいや…

ケミの記事に書いた「とあるロックバンドのライブ」行ってきました。
Hello Sleepwalkers!夜想狂宴!

めっっっっっっっっっっっっちゃっくっっっっちゃよかっった!!
久々のがっつりライブで体力が心配だったが大丈夫だった。(3曲目くらいで「このテンションで最後まで行ったら倒れる…」と思いつつ自分を抑えきれなかった。無事最後まで意識を保てた)

ていうか聴きたい曲超聴けた…うれしすぎる。
アキレスと亀はハロスリを知ったきっかけの曲だったし学生時代聴いていた有名曲はかなりやってくれて
初参戦した自分的にはありがてぇ…ありがてぇ…となっていた。

そしてライブ応募した後に知らない曲も予習せねば!と聴いていて大好きになったトワイライトもなんとナルミボーカルで聴けた!
「僕はまだ歌えない 『いつかまた会うその日まで』」の歌詞が大大大好きなのよ…
シュンタロウが歌ってる音源も大好きだしナルミの歌&特別アレンジもめちゃくちゃよかった…正直ちょっと泣いた…
あと夜明けが個人的にめちゃくちゃ大好きなので&聴けない気がしていたので聴けて良かった。
自分が曲に感じていたこと、この曲を聴くときの気持ちやこの曲に対する想いが、MCとめちゃくちゃ重なってた。
もうずっと私にとっては支えであり、大切な大事な曲ですよ。
あとMV撮影地渋谷だって見ていてわかるようになったあたり自分も大人になったなと思うよ。笑

一つ心残りがあるとすればユウキ脱退前に一度はライブに行っておくべきだった(;ω;)
音楽的センスを持ち合わせていない私だけれど、ハロスリのユウキのドラムと、PTPのZAXのドラムは本当にかっこいい…ドラムパートだけをがっつり聴いてみたくなるくらいドラムがかっけー!かっけー!って気持ちになるんだよなぁ。ライブ中も「あ゛あ゛あ゛あ゛~」とじんわりと後悔が(;ω;)
サポートドラムのタカトンのドラムもめっちゃよかった!んだけれどユウキのドラムを、5人で作った音を一度生で聴いてみたかったという想いがライブに行ったからこそ沸きあがってきた(;ω;)(今更すぎですけども)
そういえばハロスリを知ってから活動休止くらいまでずっとユウキが男の子なのか女の子なのかわからずにいたなぁ。結構真剣にどっちだろうと思っていた学生時代。

音楽は学生の頃から聴いていてCDも買ってたし自分がTwitterをやっていたころはTwitterもフォローしていたのだけど
それなのに私はバンドメンバーの雰囲気を知らなかった(それか人生の闇の時代を迎えたことで記憶が飛んだ)みたいで、
今回参加していろいろ新鮮だった。(ただしナルミがアー写といい歌唱スタイルといい一見怖そうなのに実際めちゃかわいいギャップ人なのは当時驚いたのでちゃんと覚えていた)
夜型が多いとか夜の曲が多いとかいろいろめちゃくちゃ共感だった。ファンも圧倒的夜型なのでは。
そんでライブ前にいろいろチェックしてたら沖縄出身だったのね。なぜか北海道出身バンドだと思っていた。
自分が男性だったらあんな風にロン毛の似合う人たちになりたい。女性としてもやはり歌がうまくてかっこいい女性になりたい人生だった。ないものねだり。
私が聴いてるバンドではトリプルギターも男女ツインボーカルもハロスリだけなので今までのライブ体験の中でも一味違う感覚でおもしろかったなー。

ロックバンドのライブ何年振りだろー…最後誰のライブだったかも思い出せないくらい、ライブから遠ざかってた。
ロッキン?coldrainワンマン?なんにせよ多分5年かそれ以上行ってなかったと思う。
それだけに、あぁ、「ライブに行きたい」と思えて、ライブに行く行動ができるなんてすごく回復したなぁと思うし、
感受性が回復したからこそ、ライブに行ったことでもっと元気になれた。ライブによる心肺蘇生。

ハロスリのパフォーマンスや作る空間・空気もすごくよかったし、セトリもよかったし
何よりもう、楽しかった。

ちょっと話変わるけど、私は仕事の領域が自分の好きなものにかかわるものなのだけど
「楽しい」って感情は仕事において一切感じない。
最初こそとにかく何もかもが嫌だったから嫌悪しか感じることがなかったってのもあると思うけど
いろいろ経験して「面白いな」とか「もしかしたら天職なのかもな」と思うことはあれど
「楽しい」はない。私にとってInterestingはあってもFunやJoyではない。

で、ケミもハロスリのライブも、手放しで「楽しかった」。
FunでJoyでHappyでDelight(!)だなって感じだった。
この違いなんだろう~ってちょっと不思議で。

私は誰かを応援することを生きがいにはできなくて、自分の好きなことを自分が成し遂げる以外に満足はできないと思ってる。だから推しとか恋や心酔のようなものやエンターテイメント的なところに楽しさを感じたのではないと思う
今回のライブ、そして今まで行った高橋優さん、SiM、Coldrainだったり…ライブに行って演者が時折めちゃくちゃいい表情する瞬間があると思うんだけど
あの瞬間、あの一瞬にすべて詰まっている気がする。

私は人見知りで根暗ですが、ライブ行った時(とジェットコースター乗ったとき)だけはどうにも感情がふなっしーの梨汁ばりにあふれ出て、周りの目とか気にする余裕がないくらい感情だけで生きてる感じがする。
それは音楽が好きだからでもあり、音楽やそれを鳴らすバンドや歌手のパワーでもあり、それを感じるからでもあり、
そして「言葉にできないくらいの気持ちを人と共有する」からなんじゃないかと思う。

面白いと思うのは、知的好奇心。
楽しい、幸せ、言葉にできない高揚感や生きていてよかったと思うような何かを感じるときは
心に響く絵を見たとき、揺さぶられる歌を聴いたとき、震えるくらいの人のやさしさに触れたとき、
言葉でないところでだれかと繋がったと感じたとき。分かり合えないと思っていた苦しさを誰かと共有したとき。
そういう心が動く時が楽しさや幸せ、このサイトのタイトルでもある「喜び」でもあると思う。

そしてケミのライブの記事にも書いたけど、人生についてもやはり考えてしまい。←飛躍
うまく言い表せないけど、今まで自分がどれだけ人の目を気にして、ありもしない正解を探して、無難という型に自ら嵌まって、
身動きが取れずに苦しんでいたのか。それを感じずにはいられなかった。
人に評価されなければ価値がないのか。うまくなければやる意味はないのか。
自分が自分のままでいることは、そんなに許されないことなのか。才能がなければ挑戦の資格はないのか。
人に避難されたら辞めないといけないのか。求められない人間はすなわち不要で価値のない人間なのか。
自分の中に、気づかないうちに蓄積された価値観、ルール、呪いのようなものに対して、「本当にそうなのか?」「本当に今まで”そう”だったのか?」と疑念が浮かぶようになった。

誰にわかってもらおうとしていたのか、誰に認めて誰にとっての価値がある必要があったのか、
誰のために生きて誰のために自分を殺したのか、何を守っていたのか。そして本当に何かを守れたのか。
その代わりに失ったものは?諦めたもの、捨てたもの、持ってはいけないと見ないふりをし続けたもの。

Perfumeのライブ映像を見たときに「PerfumeってずっとPerfumeだったんだなぁ。ずっとPerfumeで居続けたんだなぁ」
って思ったことがある。そして私の人生の最大の支えである某歌手も、進化こそすれ芯が変わらない人だった。
そういう姿にも、力をもらうことがあるし今回ももらった。ハロスリも変容こそすれど芯は変わらないのだと思った。

自分もそういられるかな?と心細い気持ちになると同時に、
今の環境全てが、自分の起死回生のチャンスにも思える気がして、
こんなに視界広かったっけと思うような驚きをしばしば感じる。

ライブの感想から話は飛躍したけどやっぱりライブに行って結果自分の中の何かが刺激された結果だと思う。
音楽っていいなぁ!大好きだ!音楽を続けてくれるみんな大好きだ!
ていうか仮に続けなくても、自分を貫いてい生きている表現者に敬意を表したい。

私は特別でもなければ才能もないが、遠慮はしないで生きていこうと思った。

なんやかんやで月末に別のライブいくつか当落出る。行けるといいな~。
あと一度は行きたいなと思ってるアーティストのライブにはじゃんじゃん行きたい。
今年の夏フェスはもう体力的に厳しそうだけど、今年のCDJ行こうかな。

以下、めちゃくちゃ違う話そして漠然とした話

ただ好きな色を置いていけばいい塗り絵にさえ、おびえてしまうくらい、楽しさとは何か見失っていた。
最近になって、ただ好きな色を…いや、「置いたらきれいだと思う色」を、自分に無意識に問いかけていた。
これは楽しいなのか、面白いなのか、今はまだわからないが、絵の具を混ぜて黒く濁っていくような
黄色よりレモン色がなんとなくきれいだと思うような、その小さな喜びに気付くことができるようになった。
綺麗だと思う色を置いてごらんと促して、その結果を眺めて違ったなと思ったり、
これはこれで好きだと思ったり、気に入らないなら黒く塗りつぶしたって白く覆い隠したってよいのだと
あとから別の色を混ぜたっていいのだと、濁ったなら純色を足して濁りを限りなく打ち消したっていいのだと
そうやって思うまま思うようにする自分をただそこにいて見守ってくれる誰かが自分の中にいるように思う。
現れたのか生まれたのかずっといたけど自分が気づいただけなのか、そう変わったのかわからないけど。
綺麗な色がどんな色かも自分にはわからないのに何かを置かないといけなくて、何を置いても「汚い」と踏みつけられ破り捨てられるようなことはもうないのだと
そう思える、ような気がする。きっと、もうすぐ。