2025年のわたしとあなたへ

もう大晦日ですね。このブログを本格的に始めたのも、スキーマ療法に取り組んだのも、今年2025年でした。

生活の様相は変わっておらず、でも内面は変わりつつある。そんな一年でした。

カウンセリングには数年前から通っていたし、苦しさとは子供の頃から共にあった。

大人になるにつれて、スーザンケインの本で内向型という性質を知ったり、加藤諦三さんの本を読んでこれはあくまで自分の問題であると気づいたり(何冊か読むとうーんと思うこともあるけど)、自分の過去と向き合ったり、少しずつ少しずつ歩いてきたからスキーマ療法にも辿り着けたと感じる。

スキーマ療法で、目を背けたくなる自分の憎しみや攻撃性にも気付き、でもそれを解くとはじまりには誰かのための気持ちがあった。

自分が優しくするのは人に嫌われたくないからで自分は自分が思うより自己中で身勝手なのではないかと怖かったが、私の中の優しさにも気づけたのはなんだかとてもほっとした。

自分の気持ちは偽物だけじゃなかったのがうれしかった。

今年の私に、今は満足している。足りないことや未熟なこと、歳の割にできてないこともたくさんある。普通の家と違うこと、普通の人と違うこともたくさんある。

でも私の心と、私の感性が息をしていることがなによりも嬉しい。これがあれば、私はきっと生きていけると思えるものが、まだ不完全だけど確かに作られつつある。

カウンセリングは来年も続ける。

スキーマ療法は2〜3年はかかるものだという。

私は一年弱で効果を感じてはいるけどまだまだ危うい自覚がある。これを確かなものにしたいなと思う。

幸い、先生との相性も良く、先生にこうしていくつもりだと聞いてもらえると心強い。

このブログもある意味安全基地支部だ。不特定多数の目に触れると言う点で、冒険ではあるがここがあるから私は気持ちを外に出すイメトレができている。

実は今年、かなり神社やパワースポットに行った。ご利益目当てというわけでもなく、ただ近くに行ったから寄ろうくらいのメンタリティではあるのだが、今までの人生の中で偶然、行った回数の多い年になった。

お願いごとをするというのは、お願いごとを、口に(出さなくても言葉に)するということで、自分の中で願いでもあり誓いでもあり、祈りでもある想いをはっきりと唱えるわけで、それが私にとってはすごく良い暗示になったのではないかと思う。

来年も、初詣に行くし、来年早めに有名な縁切り神社に行って過去との縁を断とうと決めている。それは自分に対して過去に囚われずに生きていくっていう決意を自分に示す意味もある。

内面が変わっていくのと並行して、今年は広く根を伸ばしたような気がする。

スキーマ療法ワークの一環で、自分の安全イメージを考えたこと、なんとかかんとかネットワーク(ド忘れ)で頼れる人、頼らなくても思い浮かべれば少しでもホッとする人を書き出したこと、ずっと一緒にいるぬいぐるみ、カウンセリングの先生、友達、昔支えてくれた学校の先生。イメージの中だけでも、安心できる場所を作れた。ブログも、本音を心や体の中に閉じ込めず外に出す練習になった。習い事やライブ参戦で、僅かなものではあるけど他者と時間や気持ちを共にした。そのひとつひとつが、私が私のためにしてあげたことだと認識できるようになった。

一年前、わたしは多分泣いていた。人とつながれず孤独だった。

今も根本的には1人だが、人と繋がることはきっとできると思えるようになってきた。その証拠に人とぶつかることができた。それが正しいのか正しくないのかもわからないし、

相手を傷つけた側面もあるのかもしれないが私にとって必要なことを、私が私を守るための言葉を、素直に口に出すことができた。

いい子でいることを諦めた。いや、いい子でいなくていいと自分を許した。私は私の人生の責任を少しずつ少しずつ果たせるようになってきた。

今もやはり涙は出る。でも受け止める心も私は持ってる。

ブログに書いたかは忘れたが、女性や子どもを守る団体に寄付をしている。母のためにお金を使うのをあえてこらえて寄付をすることであの頃の無力な自分にけりをつけるような気持ち。だからあまり寄付先のためとかではない。もちろんせっかくなら役に立ちたいと思ったからではあるけど、善行という感じではない。自分のために。

過去と向き合った一年だった。この先に必要のない荷物は、2025年に置いていきたい。

この先は自分の道をゆこう。