先日に引き続き、おや、と思うことがあった。
そのときに、自分が考えすぎなのか?自分が神経質すぎるのか?
自分はそういう振る舞いをしないからそういう振る舞いができる人に妬み嫉みの感情が湧いて批判したくなるだけなのか?
とか、ブワーーーっとそういうのが襲ってきて圧倒されてしまう。
今日に関しては第三者の意見を聞いてみて、自分の感覚は自然だと思うことができた。
本当は自分が思ったらそのまま自分の感覚を信じられるのが一番いいのだが、
どうにも、まだそこまで自分の感覚を信じきれない。というか、
自分の感覚を信じて行動することで他者からあるいはコミュニティから排斥されるのではないかという不安を打ち破ることができない。
それでも第三者に相談したこと、相談できたこと、
そして行動にも移せたことは、自分の中ではよくやったと思う。
今日はそれ以外の小さいところも、色々と感じるものがあった。
最近、少しずつ関わる人が増えてきて、その分多様な意見に触れるようになった。
何かに対しての意見や、自分以外の誰かから見た誰かの姿とかも。
すると不思議なことに、Zさんという人がいたとして、Aさんが話すZさんの人物像と、
Bさんが話すZさんの人物像が違ったりする。当然親密度によって素が出る出ないはあると思う。
そういうレベルでなく真面目で勤勉な人物像と、それと真逆の人物像が浮上したりする。
みなが真面目で善良と認める人が、雨の日にコンビニで他人の傘を盗み使うのを見てしまうようなことが起こる。
まぁつまりそういう感じのことがあった。
そしてその人に対して大きな不信感を覚えた。
他にも、人の悪口も聞いた。でもその悪口を言われるのも頷けるような人でもあると思った。
そもそもその人自体、人の悪口を、人を見下す発言を直接するような人だった。
さらにまた別で、言わなくていいことをわざわざ言う人がいた。
今までターゲットの前でしか聞こえないように言っていたのを
まるで何もやましいことなんかないかのように
多数の前でこれはさも自然な感覚だというように発言しているのを見て、
これを正気でいえるのは本物にやばい人だ、と怒りを驚きが追い越してしまった。
いや、何が言いたいのかわからなすぎて怒りが湧かなかったともいえる。
そのくらい、自分にとって規格外な人を立て続けに見た。
自分も人から見て規格外の人間に映ることがあるのだろうか?
自分が持っている感情が、自分の持っている価値観が、
おかしいんじゃないか。と疑いが生じること、それがこんなに不安になるものなのだと、
きっと今まで知ってはいた。でもこんなふうに認識はできなかったと思う。
今いる場所は、本当にいろんな人がいる。
もしかしたら、ここ以外もそうなのかもしれない。自分が変わったのかもしれない。いろんな人がいることに、気付けるだけの視野が広がったのかもしれない。
おかしいのは自分じゃなくて相手なんじゃないか?と思う気持ちが芽生えている。
先日も書いたが私はいつも間違っていた。
母の価値観から外れること、母を悲しませること、困らせること、
父がほめること、バカにすること。家族に暴力を振られること。クラスで仲間外れにされること。
あらゆることの責を私は自ら引き受けてきた。
自信が持てなくて当然だ。不安に襲われるのも当たり前だ。
全て私が悪いんです。と服従するたびに自分を貶めてきた。
コンビニで他人の傘を盗む人の気持ちは私は絶対に理解ができない。
でも傘を盗む人は実際たくさんいるのだ。
そのくらい、世の中には自分の理解の及ばない人がたくさんいる。
理解できなくても、そう言う人は「そういう人」なのだと、
自分に何か非があったからそんな仕打ちを受けたんじゃないかとか、
その人の過去に何かあったかもしれないから自分が我慢すべきだなんて慮ることはなくて、
自分と人の間に明確にある境界をもっと意識していいのかもしれない。