といってはなんだけど。
昨日戸籍を調べて、そのまま調べられることは調べようと、実家の屋根裏から手掛かりを探してみた。
- 母親の幼少期〜結婚前のアルバム
- 兄弟姉妹の幼少期のアルバム(私のはなかったが数枚は見つかった)
- 小3のクラス替え直後の自己紹介冊子っぽいやつ
- 兄弟姉妹の小学校時代の提出物
それとは別に母に教えてもらった↓
- 母の職歴(自分の記憶と時期を結びつけるのに役立つと思ったので)
- 母のうつ病の症状が強かった時期(それとなく…ちょこっとだけ聞いた)
家に帰ってから自分の記憶や気持ちの整理をするつもりだが、
今日の時点で色々思うところや思い出したことを書き留めておきたい。
ざっくり。
まず、兄弟姉妹の小学校の提出物。
大学で教育学も少し学んだし、大人になった今ならわかる。先生が良くない…。
提出物のフィードバックで、否定ばかりされている。
先生の言っていることは間違ってはいないし悪い大人ではないんだけれど、
なんというか…彼/彼女(性別や年齢関係を明示したくないのでこう書いている。以降は省略して「彼」と書く)が可哀想だと思った。
私は彼を憎んでいて、当時どんな環境にいたとしても、自分が傷つけられた事実は変わらないが、少しだけ、今の「大人」になった自分が、小さい頃の彼の心を思いやる気持ちを感じた。同情じゃなく、一人の子供の悲しみに共感してあげたくなった。
そして各種アルバム。
母の小さい頃のアルバムは、母がどんな風な子供で、どんなふうに過ごしたのかを少し教えてくれた。
笑っている写真や、写真自体も多かった。子供らしく過ごせていたのだなと思った。
信頼している人と写っている写真は特に表情が明るかった。
子供が生まれてからの写真もあった。一人目の子供は特にアルバムも細かく記録されていた。母の笑っている顔は今と変わらなかった。
父が子供と一緒に眠っている写真。家族で写真屋さんで撮った家族写真もあった。
私のアルバムは諸事情でなかったが、そういう写真を見つめていたら「もういいや」と思った。
ずっと、愛されているか不安だったと思う。そういうスキーマも残っていると思う。
父の愛を欲しがって、でももらえず、というか父とは感情・情緒のキャッチボールも言葉のキャッチボールも悉く失敗していたので、仮に父が愛を持っていたとしても私は受け取れなかったし、私の気持ちは父に受け取ってもらえることがなかった。
だけど一人目の子供が生まれた時に、母が残していた当時の気持ちを書いたメモとか
子供のすること一個一個を細かく写真に撮ったりしているところや
みんな綺麗な格好をして、家族写真を撮っていること
それで充分だ、満足だ。と思った。
満たされない気持ちはずっとある。これからもやっぱり満たされない気持ちを抱えて生きていくと思う。
だけど、あの瞬間、親の愛がそこにあって、家族がただ、幸せで成り立っていたのなら、そこから何があってどう変化しようと、もういいやと思った。
自分が生まれたことに疑問があった。離婚したことで、私は見た目が父に似ていることもあり、嫌いな男に似た子供であることで内心煙たがられているのではとか、自分自身が親の恋愛・結婚の失敗の証明のような存在と思われているのではないかと、存在が後ろめたく感じていた。
そう感じたのは、親に限らず祖父母の態度なども関係しているのだけれど、少なからずそういう気持ちに呑み込まれて逃げられなくなることがあった。
でももういいや。
父は、やっぱり私の気持ちと向き合ってくれるような大人ではない。おそらく、昔から今までずっと。
だから関係修復とか、わかってほしいとかそういう期待ももう持ちたくない。
彼は残念ながら、私を傷つける存在なのだ。
善人か悪人かとか、正しいとか正しくないとかじゃなく。こういう関係性にしかならない。
彼と私はこういう関係性しか持ち合わせていないのだと思う。
母は、苦しんでいる人だ。
それもやっぱり、昔から今までずっと。私の知る部分でも、知らない部分でも。
でも、母は幸せにもなれる人間だと思う。昔の写真を見て、大丈夫だと思った。
私から見た母は、いつもなにか足りなさそうだった。幸福感か充足感か安心感か自己信頼感かなんなのか私にはわからないが、なにか欠乏感を感じているのだろうなと思っていた。
だから、幸せになってほしいと願っていた。できることはしてきたつもりだった。
でも、そんなことしなくてもちゃんと、幸せを持てる人なんだと思って、少し安堵した。
今幸せと言えるのかはわからない。結婚したこと、子供を持ったことをどう思っているか、やっぱりわからない。今後も聞けない。聞いても多分信じられない。
私が知るのは私が生まれてからの母のみで、それまでの母を少し知ることができたことで、母の人生が自分の想像よりは明るいもので安心した。それなりに自由に生きて、それなりに得るものは得たのだ。
そう思うと、私は私の人生をちゃんと生きていこうと思った。
まだこれからも昔のことを思い出したり悲しみの渦に呑まれると思うけど、悲観する気持ちが少し薄れたような気がした。
あとは私の記憶の抜け落ちた部分、時系列がバラバラになった記憶たちを、今回得た情報でまた少し埋めていけたら、過去の整理としてはかなり上出来なんじゃないかなと思う。
今回こうしてある種安心感を得たということは、逆に言えば今までそれだけ不安があったということだ。
その気持ちも含め、昔の自分が呑み込んだ言葉とか、心の奥に隠してしまった気持ちとかを、取りこぼさないように照らして、一個一個、もう一度自分に還してあげられたらいいなと思う。
今の私は、どこか自分が自分でない気がしているんだけど、自分で否定してしまった自分を取り戻して、もう一度自分で「消化」してあげられたら、もう少し自然に生きていけるんじゃないかなぁ、重たい荷物が軽くなるんじゃないかなぁ。と思う。
スキーマ療法はなんかやっぱりきついし、この探偵みたいに色々情報集めて繋ぎ合わせていくのもけっこうしんどい。本当に、今は冒険の旅をしているような感じ。
あ、あと卒業文集を見て、やっぱり一時期記憶が全然なくて、自分の担任以外の先生が全然記憶にないんだけど、図工の先生と養護教諭の先生は顔見たらすぐわかった。心がちょっとだけあったかくなった。
この旅が終わるまで、いつまでかかるかわからないけど、前を向いて進んでいこう、と思えた日だった。