「かわいくなりたい」

先日話した人が、なんというかすごく好きな雰囲気の人だった。
芸能人のような特異的でものすごい美貌ということではないのだが、
自分にとってすごく好きな、ものすごくかわいいと感じる、「自分(私)にとって最上級の可愛い」を持つ人だった。

そしてふと、憧れが芽生えた。
なんだか久しぶりの感覚で、これは幼稚園や小学生の時に遊んでくれていたお姉さんの真似っこをするようなレベルの、単純な気持ちだ。

思えば、この数年間、もしかすると十数年間、髪を切るのも、服を買うのも、
「自分が人にどうみられるか」ばかりを気にしていた。
「不潔な人・ダサい人・似合わない・歳や外見レベルに見合わない・一緒にいて恥ずかしいと人に思われないか」
「私の性格はこうなのに印象が違う服を着ていると人から見て滑稽だったりイキがってるように見えるんじゃないか」
そもそも、流行(少なくとも古くならないこと)を意識する、化粧をする、身だしなみを整える、
という行動の動機が、いつからか世間の価値観における足切りにあわないようにすること になっていた。
いつも必死で、それでいて自分がこのくらいなら多分いいだろうと思うレベル以上は、もう目が向けられなかった。
それは着飾ることが偽ることのように思えたり、経済的社会的アピールの手段としか思えていなかったのだと思う。
服は好きだ、だが無意識に疲れていた。
好きな服が世の中にあふれているわけではないし、好きな服は非常に高価な時もある。
ボロボロの服を着るわけにもいかずそんなに着たくない服にも安くはないお金を払う。
好きなものを様々な理由で選べず諦める、特に自分には似合わないなどの気持ちで諦める。
好きではないものも、仕方なく消極的に選ぶ。
そうした選択の連続で、徐々に卑屈になっていったのかもしれない。

自分に対して卑屈になると、自分に対して求めるレベルも下がっていく。
肌荒れや化粧崩れのテカリ、白髪が増えたことだったり、にさえ、しばらく気づくことができなかった。

「どうせ直らないから」「どうせ誰も見てないから」気にかけるのも、お金や時間をかけるのも諦めていた。
肌の悩みは思春期の頃からあり、時々いい基礎化粧品を買ったりしたが、
使っているときに急に虚無になり、こんなお金かけても意味ないのに、となるときがあった。

結婚式のドレスだとか、そういう確実に人目に触れ(認知され)、一定の装飾ルールも明確なものについては
しっかりと準備をして臨んだ。そういうときだけ自分を演出する一張羅システムだった。
自分にとって、人目に触れることは過酷ミッションだった。大イベントとなっていた。
自己肯定感の問題なのか、しかしその陰に、着飾る大義名分を持つことへの安心感も持っていた。

着飾ること、美容やファッションにお金をかけることに対して、なぜこんな恥ずかしさを覚えるのか。
自分に価値があると思っている、と思われるのを恐れていたのだろうか。
「ブスのくせにスカート履いて」
「〇〇のくせにメイクして」
「一丁前に女ぶって」
そういう風に言われる思われる恐れが根底にある。

だとして、ブスがスカートをはいたり流行りのメイクをすることが、
女らしい服装をすることは、悪いことなのだろうか。決して、悪いことではないのではないか。
例えば悪臭がする服を着るとか、明らかに周囲の大多数に不快感を与える場合は、恥を感じてもおかしくはない(その悪臭の理由がしかたないとしても、望んでなっているわけではないなら恥は感じると思う)
でも、ブスがスカートをはいて周囲の大多数に不快感を与えるのだろうか、
不快感を与えたとして、それはスカートをはくのが悪いのだろうか。ある程度、見る側の価値観の部分もあるのではないか。

過去にも読んだ「恥(シェイム)」の本によると、学歴や社会的地位、障害や病気、性的マイノリティだとか生活保護の受給…といった社会的な価値観が恥につながることがあり、そうしたマイナスの価値観の決めつけを「スティグマ」というらしい。
社会という、自分の外側から押される烙印なのだそうだ。

人から見たときどう見えるか、を気にすること自体は悪いことではない。
清潔感や衛生面、健康にもつながるし、TPOをわきまえたうえで自分を演出するのは人間関係や仕事の戦略にも役立つと思う。
しかし自分の一挙一動、服を選ぶ価値観、すべてを人にジャッジされていると感じているのなら、それは着飾るのが苦痛になっても仕方ない。

あれこれ書いたが、先日の「かわいくなりたい」と思う気持ちは、
今の自分がだめだとか、かわいくないと人から愛されないだとか、そういう価値観から生まれたものではなくて、
自分もあんな風になりたいなぁ、近づきたいなぁという欲求だった。
この違いはすごく大きいと思う。

行ってしまえば「かわいくなりたい」とここに書くことさえ、私にとっては恥ずかしい。
世の中がブスと普通と美人イケメンに分類されると思ってしまっている(意識で変えにくい価値観がある)
自分にとって、かわいくなりたいのは分相応ではないと思えてしまうのだ。

今までスキーマ療法ワークを進めたりしてみて、
自分は結構周囲の感情や価値観を取り込みやすい、感じ取りやすいのかもと思っている。
自分がない、とは違うと思うのだが、影響は受けやすいような。
スティグマを形成しやすいタイプなのだと思う。

こうしていちいち恥を感じてしまう自分を自覚しつつ、
この久々に沸いた感情は大事にしたいなと思った、そういう日記。