遠慮をしないこと/恥や自己嫌悪のタイミング

多少持ち直した。

最近少し思う。「死にたい」と思う引き金になる特定の感情がある。
恥や自分の不器用さ、それによる劣等感。
お風呂に入っている時に人から浮いたり失敗して恥ずかしい思いをしたことを思い出した時。
こういうときはただ思うだけの比較的軽い感情だけど死にたいと口に出る。

そして記憶は新しいほど自分を苦しめる。
特に大多数を相手にした時。あるいは社会的立場のある人を相手にした時は
それだけ自分を責める心の声も増えたり大きくなったりする。
自分が作り出した、「人の目」が自分を責めている気がする。

同時に、そういう渦に飲み込まれずに、我に返るのに役立つ言葉も見つけた。
「私は悪いことをしたのだろうか?」と問うと、大抵の場合悪いことはしていない。
私に非があるかであれば非があることもあるだろうが、それはあくまで至らなさである。
善悪の善でも悪でもない。実害や罪を犯したわけではない。

最近、「自分の才能に遠慮をしない」「自分の力を出し惜しみしない」という気持ちが生まれた。
特別な才能があるとも思っていないが、できることできないことに凹凸があるという意味で
凹があるからと凸をたたせようとしてはいけないわけではない。
どうしてもできないことや足りない部分に目がいく。だけどそこでできることも隠してはいけない。

人の目を気にする時、私は凹に全ての意識を向けてしまっている。
すると負の気持ちに呑まれやすくなる。劣等感で動くようになる。

私しかやらないこと、私に向いていることというのはある。
世間話やプレゼンが得意な人にはわたしはなれない。
それが評価される世界でなら私は評価されづらい。
できないことに目を向けていてはいけない。
できないことを受け入れつつ、できることで生きていく。
「こうでないといけない」と思うことは自分のためにならない。
「こうなりたい」「これが正しいと思う」という信念を強く持って生きていく。
それを証明するために努力する。そういう環境に行く。
迎合してはいけない。人に合わせるメリットはない。

「どうしたらいいか」人に聞いても答えは出ない。