恥を取り去ると、惨めさと羨ましさが浮かび上がる

生理前でメンタルが落ち気味。
今日は何もできなかった。
ふとした時に最近会った友達のこと、同世代の人生を考えて悲しくなる。

年齢的に結婚している人も多く、というか結婚する人はもうだいたいしているだろうなという歳で。
子どもも早ければもう小学校に入る人もいるようなそんな感じ。
私は人と付き合ったこともなく、結婚が人生をかすめたこともない。
もっと若い頃、学生時代からわりと最近までは、生きているのが苦行でしかないし
自分みたいにメンタル不安定な親を持ったら苦労するのは自分が一番わかってるから
子供は絶対に産まない、結婚もしない…と言っていた。
友達は家庭を持ったら今までよりは疎遠になるし、話も今までよりは合わなくなったりする。
それがまた寂しくて悲しくもあった。

何が言いたいのかわからなくなったけど、
人と付き合ったことがない、そもそも性別問わず人と親密な関係を築けないこと
人に選ばれない、選ばれるようなところがないこと
自分の人生、仕事やお金や家族や心のこと、精一杯なことに加えて
まともに恋愛したことないから恋人のいる喜びもいない寂しさも知らず
なんかこのままなのかなと思うと、すごく虚しく、自分が惨めになる。

例えば、友達が5万円~10万くらいするブランドもののカバンやお財布を使っていること。
例えば、友達が車を持っていること。または家族からプレゼントされること…
結婚していること、家族を持ち子供を持ち幸せに暮らしていること、家を買っていること。
自分に合った仕事をしていること、職場で信頼できる友人・仲間と出会い
人によって職場結婚していること。
休みの日にいろんなところに出かけていること、行けるお金があること、行く仲間がいること。
そもそも長く付き合う友達がいること。
親のお金の心配をしなくていいこと、急に自殺しちゃうじゃないか、
自分との関係なんか捨てて、いなくなるんじゃないかって心配なんかしないでいいこと、
家族の愛に疑いを感じないこと、わがままを言えること、子供の頃に言えてきたこと、
自分のために何かしてくれる人がいること。
パートナーなり親なり雨が降れば車で迎えに来てくれる人がいること。
愛してくれる人がいること。

見た目の可愛い人や才能あふれる人はうらやましい。けどそういううらやましさは
結局言っても仕方がないからうらやましいと思うことさえ不毛だとわかった。
「うらやましいと感じるのは自分の立場に近い人」的な言葉はある程度あってるんだろうなと思う。

こうして書いてみると、お金、人との親密な関係(恋愛、友達、家族)が多いかな。
そこにやっぱり憧れがあるのかぁ。惨めさと羨ましさは裏と表みたいだね。

世の中の人達はどうして仕事も遊びや恋愛も両立できるんだろう。
私は最近自分のメンタル整理と仕事の勉強と自分が臭いことへの対処で手一杯なんですが
多分こんなことでいちいち悩まず日々頑張ってる人や
悩んでいてももっといろいろ並行してこなしている人が多いんだろうな。
メンタル不調の人も恋愛経験ある人たくさんいるのが、自分には想像できない世界で、
理解してそばにいてくれる人がいるなんて、どうやって…って思ってしまう。
(自分と人の悩みは違う。背景も感じ方も違う。わかってる。わかってるんだけどそう思ってしまう、それがまた嫌なんだ…)

こういうこと考えると「うー、うー、」って何とも言えない声で唸りたくなる(壁薄いので、実際はなるべく静かに鼻すすって泣くだけ…)
苦しい。

全部受け入れてくれる人が急に現れたとしても私はその人を信じないと思う。
そう思うとうらやましいと言いながら仮に同じような状態になれるかも?という機会があっても私は捨てるんだと思う。
なんじゃそりゃ。身動きができない…。


で、色々考えた後にまた本を読む。
羨ましいとか惨めってワードで出てきたのがこの2冊。

本当は下の本を読みたかったのだけど、電子書籍がなくいったん保留で心屋さんの本がKindleUnlimited対象だったので読みました。
私、この方ちょっと苦手意識があり…というか母がスピリチュアルな話をよくしていて、それが…当時の私は嫌だったので…うまく説明できないけど、私はある程度根拠が欲しい。
(子供は母親を選んで生まれてくるとか、神様は越えられない試練は与えないとかそういうのが苦手。というか友達とかにそういわれてもなんとも思わないしこういう考えに励まされることがあるのも理解できるけど、そういうことばかり言って現実を見ないことにする人が苦手)
思った以上に文体がすごくフランクで、内容としてはとにもかくにもあなたは素晴らしい!みたいな印象でした。
そのまま受け止めるのはやっぱり抵抗があるけど、考えやスキーマと照らし合わせて気づくところもありました。

これまでの経験から自分は「愛されない」と思っているが、「愛されなかったことがある」だけ
「どうせ人が離れていく」のではなく「人が自分から離れていったことがある」だけ
→過去の経験がその後の自分の価値を決めるわけではないということ。

自分はだめなんです、と言いつつでも認めてほしいんです←どっちやねんなので
自分を幸せな人として生きる覚悟を決める という考え
自信があるのに謙虚が一番だと隠している人は自信を表に出している人を非難する
→私が人に対して感じる羨ましさ、自分に感じる惨めさ。それはやっぱり人との比較で生まれるし、それで自分の足りなさに目が向くのもあると思う。そういう意味で自分は幸せ、というか今幸せと感じなくても幸せになれる人間だと思うことは大事かもしれない。十分幸せなのに不平不満を言うなという自己暗示じゃなく、今の自分の生き方を一つの生き方として肯定すること。

あと、羨ましいとか惨めって感情の中に、「自分は○○できない(愛されない、選ばれない, etc.)」ってスキーマや「自分は〇〇してはいけない(迷惑をかけてはいけない、わがままを言ってはいけない、自分のためだけにお金を使ってはいけない, etc.)」ってスキーマが隠れているようにも感じた。
「私は迷惑かけていい!わがまま言ってもいい!」って自分の行動いっこいっこを許すのは効果的かも。ちょっと荒治療感もあるけど。
それと自分に自信がないと思うんだけど、お前はダメだ!!って言われたら昔と違ってイラっとするようになったのは、ダメじゃない!!お前に言われたくない!!って気持ちを持つようになったからで、そういう意味ではまだいびつながら自信…自己愛?はあるわけで、「自信満々で生きていい」「思う存分力を発揮していい」と思うのは、少しいいアイデアかもしれない。
自信を持てるか、発揮するほど力があるのか(笑)はどちらにせよ行動して初めてわかるもので、何か能力があれば自分に価値があって、能力がなければ自分には価値がない、というわけでもないのならば、結果にかかわらず自信は持っていい。ともいえる。

なんかまとまらないけど、ちょっとヒントが得られた気がします。
まとまらないので雑に終わり。

調べていたら、こちらのnoteもなるほどとなりました。
自分を惨めにする方法
https://note.com/sky_diary/n/ndfeac655b378