昔の自分と今の自分は地続きか?

昨日のショックから一日経って。

困ったときどうしたらいいかわからないときネットに頼るのは昔から変わらず。
私は十何年前の自分も、というか子供のころの自分こそ自分の本質だと思っていたけれど
ネットを見ているとそう思っていない人もいるみたいだ。

昨日の私は、
今カウンセリングに通っている意味は何か、
過去に言い訳を探しているだけなんじゃないのか、
昔できていたのに今やらないのは甘えなんじゃないか、
自分は結局何もできないんじゃないか、
この先どうしていったらいいのか、何がしたいのか、何もしたくないのか、
何もしたくないなら何を糧に生きていけばいいのか
私は周りを振り回してきただけなんじゃないか
自分だけつらいと思い込んで、わかった気になってただけなんじゃないのか

そういう感じでぐるぐる、今自分が苦しんでいることも仕事を頑張れないこともカウンセリングに通っていることも
何もかもが無駄だったんじゃないか…と考えてた。

一日たってそれが変わることはないんだけど、
ネットでとある人が「〇年前の自分は別人」と言っていたのを見て、あぁ、それもそうだな、と思った。

当時の自分は幼くて今とは環境も周りの人も違っていた。
当時は当時で家庭環境で苦しんでいたわけで。
それを自分だけが不運とも意外と思っていなかったのか知る由もなかったのか、意識していたのかしていなかったのかは微妙だけど、今になって思い出して悲しくなるくらいに、それなりにこびり付いている記憶であり、一方で記憶から追いやられている部分でもあった。
当時は当時の自分が自分を守ったり、時には現実から逃げたり、色々もがいて生きていた。
今はその一部がスキーマとして残っていて、それが今の自分にとっては苦しみになっていたりする。多分。

そして、それはそうとして、その頃から今までの間にも自分はいろいろな経験をしたわけで。
この数年で職場が、仕事が変わっただけでも子供の頃でいう学校が変わるくらいの変化なんだよ。
その中でスキーマが強化されてしまったり、新たな苦しみを得てしまったり。
反対に、自分で対処する力、それはお金だったり、知識だったり、経験だったり、覚悟だったりがついてもいる。
昔の自分だけ、今の自分だけを見て、「あの頃はよかった」 とか「成長してない」とか「逃げている」と判断してしまうのは、悲しいなと思った。

と、同時に、昔のことを思い出すのは大事だけど、
今の自分。が一番大事にしてあげるべき存在だなと、思った。

うまくまとまらないけど、
昔の記憶をたどったり、思い出せない記憶を掘り起こしたりすることも、無意味ではないと思う。
私は過去の自分は、今の自分と地続きというほど同一人物ではないけど、
別人と呼べるほど他人じゃないと思う。
昔の自分が感じたけど抱えきれなかったであろうことを、今の自分が片付けてあげるのは
あの頃と今の自分にとって、まったく無駄なことではないと思う。

昔の自分が父親に叱られているメールがあった。
あの頃の自分はこれをどう感じたんだろう。と想像した。
今の自分が見ると、父は正しいことを言っている気もするし、
一方で前後で言っていることがまるで違うじゃないか。とも思った。
幼い自分は、納得したのだろうか。戸惑っただろうか。罪悪感を覚えただろうか。
正しいか、正しくないかじゃない。あの頃の自分の心は、どう感じたんだろう。

そう思うと、残っていたメールの文面だけじゃわからないな。
メールの履歴で自分には友達がいたとか好きなことをしていたと判断していいのかわからない。
でも、頭で振り返るほど物理的には孤独じゃなかったことも分かった。
心理的に孤独だったかどうか、本当のことを言っていたのか、それは今の自分が汲んであげられるといいと思う。
表面だけを見て心配いらないと判断したら、それは周りの大人と同じだもの。

こう書いていて気付いたけど、こんなに表面がちがちに作ってたら
そりゃ周りの大人は私が傷ついていても気づけないわ。

「甘え」

「逃げ」

「過去に言い訳を探しているだけ」

「自分だけがつらいと思い込んでる」

これ、冒頭で自分が書いたことだけど、視点を変えれば自分が自分をこうして疑って、批判してるんだな。
確かに必要以上に過去にとらわれているのかもしれない。
でも「自分の心が傷ついたかもしれない」と気に掛けることは間違ってない。きっと。
だってそうしてあげなきゃ、この世界の誰も私の傷ついた心に気付いてあげられない。
気にかけて結果的に傷ついてなかったならそれでいいじゃん。
傷ついていない可能性が高いから気にかけないんじゃなくて
傷ついた可能性が少なくとも存在するなら、ケアしてあげるべきだよ。

あ~~~~

私って、このくらいなら普通だーとかこのくらいでつらいとか言うのは甘えだとかいう考えがあるかも。自分にも人にもそういう目を向けていることがあるかもしれない。しんどい…。

なんだろな、でも昔の自分がそれなりに人と交流してたのはうれしいや。素が出せなかったとしてもね。
本当に誰ともかかわろうとせず、断絶されるよりはまだいい。

「家の事情を話すと先生に心配してもらえる」これは学生時代思っていた気がする。
それをなんとなく後ろめたく思っていた気がする。
心配してもらいたいのに、気にかけてもらいたいのに、それを自分は甘えや未熟さだと感じてた。
そういう風に感情を抑制はしてたかもしれない。

感情抑制スキーマが一番大きいと思うんだけど、いつからあるのかなぁこれ。
とにかく、昨日ショックだったし今もショック残ってるけど、無駄ではない。そう信じるよ。