今日、楽な方法ないかな~って調べごとしてたら、結局楽な方法はないという結論に至り
ちまちまちまちま作業した。
それが面倒だったんだけど、その面倒な手間を受け入れると意外と楽しいなと思った。
なんつーか「楽な方法があるのにわざわざ時間かかることをするのはあほ」的な価値観を恐れていて
「正しいやり方」を探すことが今まで多かった。
その正しいやり方が見つからないとできない。とか
自分流でやってうまくいかないときに「”ちゃんと”やらないからだ」って責める声がきこえるっていうか
そういう抵抗を感じていた気がする。
「~すべき」「~しなければならない」はなるべく持たないようにしてきたし
持ってても捨ててきたと思っていたけど、根強く残っているようだ。
自分流でやるのが一番楽しいっていうか
次はどうなるんだろう、じゃあこうしたらできるんじゃないかとか
もっと簡単にできるかも?とか、ひらめきや想像をめぐらせることが楽しいのに
それを否定してきてしまったのかもしれない。
というのを今日のうちに書いておきたかったのだった。ねむい。寝る。